そんな時期が続く日々

日常についてポチポチ綴る予定。

何をもってしてその人たり得るのか

こんばんは、兎です。

今日はアニメーション映画「映画大好きポンポさん」を見ていました。

94分の盛大なCMを見ている気分でした。ずっと鳥肌立ちっぱなし。

感動で。

映画見てる間中こんなに鳥肌立ち続けた映画初めてかもしれない。

話自体はありがちな感じで、流れも終わりも予想がつきやすい。パッと見ればそれこそ夢は必ずかなう系のCMだけど芯の部分がそうじゃない気がする。

君の映画大好きだぞ。

 

 

音楽とか映画とか文字とかを通した自己表現大好きです。

語彙も表現力も皆無なのでこんな風にしか言えないのですが、そこに表されてるものよりもっと下にある表現者の根幹みたいなものが見える気がする。考えるな感じろ、ってやつですね。

なんか、浸れる(笑)

浸るといえばここ数日間、湯船につかる際に浴槽に体をねじ込んで風呂の蓋を全部閉じて楽しんでます。何をって感じですよね。自分でも何を楽しんでいるのかはよくわかりませんが楽しいです。リスカしたくなっちう。

 

 

ここ何週間かずっとリスカをしたくてもやもやしてます。

切っても浅いから頭の真ん中がはっきりしない。

こういうのって依存症っていうんですかね~。

リスカとかしては痛みでアドレナリンとかドーパミン分泌させて脳内麻薬に酔ってる?深く切れた後のあの、出血の恐怖からの意志ではどうにもならない体の震えと追随してくる笑いとか興奮とか気持ちよさったら今のところトップオブ気持ちいい行為。

 

 

あ、そうだ。

同居人と同居をし始めて感じたことなんですが、もしかして同居人と自分とじゃ病む度合いが違うのでは?と。人の実のところなんて覗き見れるもんでもないので自分の杓子定規で他人を測るのはよくないのは分かってるんですが、にしたって客観的に見ても違くね?ってなる訳です。

母とも話していたんですが、同居人って自分が1か月間実家にエスケープしていた期間をなんだかんだ1人で過ごせていますし、更には「病んだ」と言って別の資格取ろうとか死ぬ前に○○に行っておきたい(実際に行った)ができる人間なんです。

自分は病むと、元気な時に興味があるものに対しても無関心になってどうでもよくなり死ぬしか考えられなくなる…それに精神の浮き沈みの浮くまでのインターバルが自分めっちゃくちゃ長くね?という考えに最近至ったんです。世紀の大発見。

いや依存症とかその他の精神疾患はわからんどもさ、ともかく自分が多数派の意見や感覚ではなさそうな気はしてる。

 

薬で生きやすくなるのかな。

でも薬飲むの苦手だしなあ。

結局のところ、他己評価って自分の解釈が入るから自尊心とか肯定感って自己評価以外じゃどうにも改善されないんだよな。最初から何もかもダメだったら諦めれるのに下手にちょっとだけ円滑に生きれた時期があるから自分は社会に馴染めるはずなのにってプライドが働いて同じ轍踏んでる。

大事にされてるはずなのにそれを感じられない信じられないってなんでこんな苦しいんだろ。蔑ろにされてないって思いこもうとすればするほどバランスが崩れていく感覚になる。そんな自分邪魔なだけじゃん。お荷物じゃん。

生きてたくないけど死ぬのって怖い。

愛されて死にたい。そしたら怖くないのかな。

馬鹿だなあ。

 

 

病むっていう同居人はよく「うつ病は暇人がなるって見たことある」とか「現実認識能力に優れてるらしい」って言う。

自分はうつ病についてそんなに知らないし、診断とかもされてないけどお門違いなこと言ってる気がしてならない。なんだか全然違う世界の話をされてる気分。

 

 

 

今日はずっと持っていた高校とか大学の合格通知とか諸々を捨てました。

あと、ちょっとだけお世話になった雇先の雇用契約書類とかも。

自分が生きてきた証かなってとっておいてたけどそんな証拠持って、誰に何を証明したいんだろう。何を認めてほしいんだろう。何がわかってもらえるんだろう。

いつか写真も捨てたい。多分捨てられない。

もっと身軽でいたい。

 

 

ではまた。

 

 

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